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子供と一緒に成長しよう! 三歳から日記が書ける子をめざして

「子育ては本能」説 世代連鎖に悩む方に

子育ては本能。


子育ての能力は、動物としての本能です。

自分が一人では成長できないときに、親にどうされたのかを潜在的に記憶しておき。

自分が子供を育てるときにはその記憶を引き出して、子育てをする。

だからどんな動物でも育児書を読む必要もなく、そばで教えてくれる仲間がなくても

子育てをすることができる。


人間も、同じです。

親がしてくれたのと同じようにしよう、と意識して子育てするわけではありません。

動物の本能として、自然に親がしたように子育てをする。

こういう子になってほしいので、こういうことのできる親になりたい。

こういうことをしてあげなくちゃいけない。

こんなことだけは子供にしてはいけない。

わかっていてもできないのは・・・?

子供を叩いてしまう。

ひどい言葉を浴びせてしまう。

子供が泣き叫び激しく泣けば泣くほど、叩いて怒鳴ってしまう。

こうしてしまった後、すごい罪悪感でつらくなってしまう親。

やってはいけないとわかっているのに、なぜこんなことをしてしまうんだろう・・・。

それは本能だから。

自分の意思より、本能の方が強いから。

親が叩いて育てたから、自分も子供を叩け!と本能が命令している。


本能に突き動かされ、思いっきりそのやりたい感情に従って「やって」しまった後は後悔。

そして落ち込んでしまう。

ダメな親だ。親として不完全だ。

親としての愛が不完全だ・・・。


自分が自分の親にされたことを、同じように子供にしてしまう。

これは動物の本能の働きによるもの。

虐待の問題が語られるときに必ず出てくる「世代の連鎖」というものは

こうしておきている。

本来は、親にされたことを同じように子供にしてあげれば、きちんと子育てはできるはず。

動物はみんなこの機能のおかげで育児書を読むこともなく、子供を育て巣立たせることができる。


人間の世界には人間が作った、不自然なルールがたくさんあります。

そんなルールの中で、ゆがんだ人間関係の概念が作ってしまった

間違った親子関係が人間界にはあります。

人は人に従うべき。

逆らったら怒られる。

叩いてでも従わせる。

逆らったら殺してもよい。・・・。

いろんな時代を経て、日本の親は子の絶対君主になってしまいました。

それが必要だった時代もあると思います。
 
上の人間(支配者や政府など)が決めたことに逆らったら、投獄や死刑になった時代があった。

家の中で親の言ったことならどんな理不尽なことでも我慢する、という訓練をしておかなければ、

一歩家から外へ出ただけで殺されてしまった、時代。


今は、自由な発想発言が許されている、自由の時代です。

いろんな選択肢を持ち、自分で自由にしたいことを選んで生きて行ける、時代。

なのに、家の中はいまだに絶対君主に抑圧されたままです。

親がやれといえばやらなければならず、だめだといったら絶対にだめ。

逆らえば 怒られ怒鳴られ、叩かれています。

人間はすべて平等で、対等です。

親と子もどちらが上でも下でもありません。

親は子供を産んだ者の義務として、子供が巣立つまでに人として必要な 

知能知識や 技術、心のあり方や思いやりを教えます。

それだけです。


世の中にはいろんな生き方があり、それを自分で選択できる能力も

巣立つ前に教えなくてはならないことです。

それにはいろんな選択肢があることも見せてあげなければなりません。

巣立つまでに、してはいけないこと、やらなくてはいけないことの判断力(=社会常識)も

育ててあげなければなりません。

それが親が子供にするべき「躾・しつけ」です。

巣立つまでに巣立てるだけの能力をつけてあげることが、躾です。

「しつけのため」を言い訳にして、叩くことがいかに無意味なことか。

叩いて怒鳴って言うことを聞かせる。

それをしても「親の言った通りにしないと怒られる」ということしか、子供は学びません。

そうされている子供はいつもびくびくおどおどして、親の顔色を見てしか行動できません。

大人になって家庭を持ってからでも、いつも親の顔色を伺って生きている人もたくさんいます。

大人になり、巣立ったら親は本来用済みの存在です。

なのに、いつも親は子供の心を支配し続ける・・・

親は絶対に正しいと思い込ませられた力が強ければ強いほど

大人になってもそのことに気がつきません。

親と離れていても親の支配の中で生きています。

 
抑圧された伸びたい心はいつか爆発します。

それが不幸な事件をたくさん招いているのは語る必要もないと思います。


潜在的な親の支配から解放され自分なりの子育てをするのは、本能との戦いです。

子供を育てるようになって初めて出会う、本能との戦いです。

しかも強力な本能です。かなり苦戦します。時間もかかります。

叩きたいと手を振り上げるのは 自分の願望ではありません。

本能が脳に命令しているのです。

かわいいはずの子供を叩くことが一瞬快感に思えるのは、本能の命令に迷わず従ったから。

叩かれた後の子供のかわいそうな顔を見て、悲しくつらくなるのですから

本当は子供を痛めつけることなど、親の願望ではないのです。


本能ですから性欲を抑えるのと同じです。

したいからって誰にでも襲いかかっていいわけではないと、

生きてきた過程でいろんな場面でいろんな人から教えられてわかっています。

だからしたくても、しない。

してはいけないとわかっているので、抑える力を持っています。

子育てを親のしたのと同じには、してはいけない。

これは誰にも教わっていません。

親が悪い親だった、と意識があれば気がつくこともあるかもしれませんが

自分の親はいい親だと思い込んでいる場合も多い。

いい親だと思っている親のやっていたことを、同じようにしてはいけないとは

自分でも考えられないし、生きてきた過程で誰にも教えてもらってない。

だから知らないし気がつかない。

すべてが悪くなくても、親にだって親として悪かった部分もあるはずです。

しかし親のやってきたことを客観的にいいのか悪いのか、見ることをしていないのです。

親が自分にしたことの中に、よくないことはたくさんあります。

言うことを聞かせる、怒鳴る、叩く、けなす、無視する、比較する、決めつける・・・。

子どもの頃本当はいやだった親にされたことを、親になった自分は子どもに絶対してはならない。

痛かった自分の心を 思い出して。

自分の子どもに同じ痛い思いをさせてはいけない・・・。

親が自分にしたことを本能のままに全部そのまま、してしまってはだめなんです。

親のどんなことがいやだったのか、されたどんなことは本当はよくなかったんじゃないかと うか。

まずは思い出してみましょう。そして考えて見ましょう。

親にされたいやなことは、封印されていて思い出せないことのほうが多いです。

でも子育ての最中だと似たような体験などいろんなきっかけで思い出すチャンスがあります。

思い出すとつらくなったりいやな気分になったりすることもあります。

でもこれをしなければ、親を客観的に見ることができません。

親が自分にした悪いことを探し出すことができません。

それがわからなければ親が自分にした悪いことをそのまま自分の子どもに してしまいます。

親の潜在支配から解放されましょう。

強い本能と戦える、強い意志を育てましょう。

そして、自分のしたいと思う自分なりのいい子育てを、できるようになりましょう。
 



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読んでくださった方 ありがとうございました。

この「子育て本能説」は 私の体験、私の周りの人たちの境遇や環境を見て

私の考えた独自の説です。

専門家のお考えなどとは合わないかもしれません。

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